東海道新幹線の開業に備えて、1000形試作車をモデルに1964年に登場して1986年までの38次に亘り、東海道・
山陽新幹線用車両として改良を重ねつつ、合計3,216両が製造された。
そのデザインは、空力特性を考慮して形状を決定された。
先頭車前面には「ひかり前頭装置」と呼ばれる丸いプラスチックカバーを装着している。この中には非常用の連結器が
納められている。開発当初、このカバーは半透明のアクリル樹脂製で、ヘッドライトを光源に光る
構造となっていた。(現在はFRP製のため、光らない。)
先頭車床下には、鋼板を多重にした障害物を跳ね除ける事の出来る排障器を設けている。
当初普通車はその銀色のモケットを張った転換式座席(W-12、W-70)だったが、1981年以降のタイプは東北新幹線
200系とほぼ同様のオレンジ基調の簡易リクライニングシート(D-23、D-32)に変更、交換された。
回転させるスペースがない為、3列側は一方向固定(集団離反型)となった。
グリーン車はゴールデンオリーブ色のモケットを張った4列配置のリクライニングシート(R-25)で、車両の大きさを
最大限に活かしたゆとりを持っていた。しかし1981年以降の車両は200系と同等のシートの色がワインレッド(R-32)
のものに変わっている。
ビュフェは開業時から存在し、岡山開業時までに製造された車両(35形)にはいすが設けられていたが、第22次車以降
の増備車両(37形)では立食式に変更された。
博多開業以降、「ひかり」用として使われたH編成とNH編成には食堂車(36形)が設けられていた。
WN平行カルダン駆動方式(主電動機出力185kW)。最高速度は210km/hであったが、1986年に220km/hに
引き上げられた。
第8回(1965年)鉄道友の会ブルーリボン賞受賞車である。 |